東京家庭裁判所 昭和53年(少)12424号 決定 1978年10月02日
少年 K・T子(昭三六・六・二六生)
主文
少年を医療少年院に送致する。
理由
(一) 非行事実
少年は、
1 昭和五三年六月一八日午前三時ころ、東京都品川区○○×丁目×番××号の自宅において覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパン約〇・〇一グラムを約〇・二五ccの水溶液として自己の左上腕部に注射し、もつて覚せい剤を使用した
2 同年七月二三日午後一一時ころ、同所において覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパン約〇・〇一グラムを含有する水溶液〇・一ccを自己の左腕部に注射し、もつて覚せい剤を使用した
ものである。
(二) 適条
覚せい剤取締法違反 同法一九条、四一条の二第一項三号
(三) 医療少年院に送致した事由
少年は中学二年生ころまでは、成績も上位で活動的であり、特に問題行動はなかつた。しかし、中学三年生のころから、家出、不良交遊、万引などの問題行動が出はじめ、強姦の被害者となつたりした。
少年は前記万引一〇余件で昭和五二年三月下旬調査官の保護的措置を受け、いままでの生活態度を改めて、高校に進学するとの決意を明かにしたため、審判不開始となつた。このようにして少年は都立○○高校に進学したものの間もなく学業について行けなくなり、怠学が始まり、夏休みのころから無断外泊、暴走族の連中と交遊が盛んとなり、シンナー吸引して補導されたりした。二学期が始まるも不良交遊、外泊等が改められず、同学期末、遂に同校中退、昭和五三年に入り、その行動はエスカレートし、暴走族の集まりに度々参加、覚せい剤を使用したり、暴走族仲間と肉体関係を持つたりした。本年四月少年は××高校定時制に入学したが、覚せい剤の使用については以前にまして盛んになり、本件1の覚せい剤使用で昭和五三年六月下旬検挙され、七月一八日調書をとられた。少年はそこで十分反省して今後繰返さないことを誓つた。しかしながら、わずか五日後に再び本件2の覚せい剤を使用するに至つた。少年は同月二六日本件2の事件が発覚し、採尿の上、母に引き取られて帰宅するも任意捜査に応ぜず、又保護者の監護にも相変らず従つていなかつたため八月二八日逮捕され、本件身柄事件となつたものである。本件覚せい剤の入手先等に関しては少年は供述を度々変えており、必ずしも明らかとは言いがたく、今なお不明瞭な点が残されている。
少年の知能はIQ一〇三で普通域にあり、性格的には自信欠如、心気症な点がやや目立つ程度で余り問題はないが、自信欠如をおぎなう面での自己顕示性が極めて顕著であつて、小学校時代は成績による裏付けがあつたため、他生徒も従つて自己満足が得られていたものの、学年が進むにあたつて、他者の自我とぶつかるようになり、学業的にも遅れてきたため、逆にその方面での負けずぎらいや勝気さが、不良交遊の中で生かされるように変化し、非行性が急激に深化していつたものと思われる。
本件で身柄を拘束されたことにより、少年は自己の問題のある性格に気づき始めてはいるが、これまで非行集団にかなりどつぷりつかつている状態で、本件覚せい剤も単なる好奇心からのものではなく、少年の日常生活を如実に反映した非行とみることができるため、その性格の改善にはかなりの困難がともなうものと言えよう。
少年のもう一つの性格上の問題点は、外見的反省態度はよく示すものの、実際の行動は全くともなわないという欺瞞性である。
これまでの度重なる指導、例えば保護者、学校、少年センター、警察、調査官などによる指導とその場における対応は良好であり、一見すると少年の決意はかたく再非行のおそれが少ないかの印象を与えるが、それは一時的なものですぐ崩れが始まり、意思と行動の不一致をもたらしてしまう。そして何かと他罰的になり、自己の行動を無意識的に合理化し、内省が深まらず、持続性もない。この潜在意識下にある欺瞞性の改善も今後の重要な課題の一つとなろう。
少年の保護者については、実父は肺結核で入院中であり、少年の監護能力はほとんどなく、実母は少年の監護に熱心であるが、指導が行きすぎたり、逆に主観的判断にとらわれて甘すぎたり、あるいは他罰的になるなど、その指導方針は一貫しないし、現実に、はたして少年の行動の抑制にどれほどの効果を発揮しうるか疑問である。寧ろ少年の非行性が保護者が考える以上、一歩先に行つていると言つた方が適切であろう。
その他少年の更生について有効な特段の社会資源はない。
以上の諸点を考慮すると少年を在宅処遇することは少年の非行性の深化をもたらす危険性が余りにも高く、収容保護により、少年の環境調整、および自己改善をはかることが必須である。さらに少年は妊娠中しかも覚せい剤により胎児に大きな影響が予想される状態での妊娠中であり、病気に準ずる取扱いをしなければならない。そうすると少年をまずは医療少年院に送致し、そこで少年とよく話し合つた上で適切な治療措置を講ずる以外にない。そして、そこでの治療が終つた段階で、再鑑別等の方法で少年の更生に最も適する中等少年院(短期処遇を含む)に移送し、個別処遇により地道な生活指導を行い、集団処遇により対人関係のあり方を学ばさせ、性格の改善をはかつた上で、今後の長い人生の礎とすることが肝要である。
よつて、少年法二四条一項三号、少年審判規則三七条一項、少年院法二条五項を適用して主文のとおり決定する。
(裁判官 佐々木一彦)
編注 (少年調査記録経過一覧から抜粋)
昭和五三年一〇月 二日 ○医療少年院送致決定
同年一〇月 六日 ○関東医療少年院入院
同年一一月 八日 ○手術施行
同年一二月 五日 ○移送求意見送付
同年一二月一一日 ○移送意見回答(移送相当)受理
同年一二月一四日 ○移送申請書送付
同年一二月二八日 ○移送認可書受理
○愛光女子学園に移送(一般短期処遇)
昭和五四年 一月一二日 ○一級上(仮退院申請)
同年 三月二三日 ○仮退院
〔参考一〕 抗告審決定(東京高昭五三(く)四〇四号昭五三・一一・七決定)
主文
本件抗告を棄却する。
理由
本件抗告の趣意は、少年本人および法定代理人・母K・Y子の提出した各抗告申立書(追完分をふくむ)に記載のとおりであるから、これらを引用する。
所論は、原決定が少年を医療少年院に送致した処分は重すぎて著しく不当である、というのである。
そこで検討すると、少年は中学三年生のころから家出、不良交遊をくり返し、その間に犯した一二件の万引きについて、家庭裁判所調査官の保護的措置を経て昭和五二年三月不開始決定を受けた。その後怠学、無断外泊、暴走族その他素行不良者との交遊(性関係をふくむ)を重ねたほか、覚せい剤の使用があらわれ、昭和五三年三月シンナーを吸入した件により前と同様家庭裁判所調査官の保護的措置を経て不開始決定を受けた。その後少年は、無断外泊、不良交遊などに加えて、覚せい剤の使用をくり返すようになり、同年六月一八日ころ本件第一の覚せい剤事件を犯し、同年七月警察官の取調べを受けたが、その数日後に本件第二の覚せい剤事件を犯すに至つた(その後も警察の呼出しに応じないで無断外泊などをくり返した)。さらに注目すべきことは少年は原審当時すでに妊娠数か月に達していたことである。
少年は、これまで保護者、学校のほか、少年センター、警察、家庭裁判所調査官による度重なる補導を受けたが、なんら生活や行動が改善されなかつたに止まらず、非行性はますます増大し、悪質化してきた。そして、現に妊娠中であること、覚せい剤の心身に与える害悪の大きさを考えれば、このさい強力な保護措置をとることが急務であるといわねばならない。
もつとも、少年は深い反省の情を示し、保護者もまた在宅による処遇を望んでいる。しかし、少年のこれまでの非行は不良交遊の中で自信欠如をおぎなう面での自己顕示欲が強く、補導の都度反省の態度を示しながらすぐにその態度を崩してきた情緒不安定で持続性のない、また責を他に転稼して自己の行動を合理化しようとする性格傾向によるところが多いと考えられ、その矯正にはかなりの期間を要するものと思われ、また少年を取り巻く劣悪な交遊関係、父は病床に臥し、母は熱心ではあるがこれまで少年の非行の防止にほとんど無力であつたことを併せ考えると、少年に対してはすでに在宅保護の限界をこえているものといわなければならない。
したがつて、妊娠の点をも考慮して少年を医療少年院へ送致した(加えて治療的措置の後短期処遇をふくむ適切な処遇をとるべきものとした)原決定の処分は相当であり、これが著しく不当であるとは考えられない。
論旨は理由がない。
そこで、少年法三三条一項により主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 新関雅夫 裁判官 渡辺達夫 小田健司)
〔参考二〕 抗告申立書
抗告の趣旨
審判の結果は予期していたとは言え、病身の父と母が愚かな私の為に流した涙の厚味にも拘わらず結果はあまりにも残酷で、私はもとより両親にもむごすぎる打撃を与えました。如何私の罪は大罪です。八月二十八日以来、毎日私は自分の情けなさ、犯した罪の重さ、両親に詑びる気持ちで一杯です。又、過去の自分の姿を凝視し反省し、欲求や感情を抑制して、自分なりに精神的な苦しみを受けてきたし、もう既に私の罪の償いは始まつたと思つています。勿論、罪の償い方はまだ々足りませんが、少年院に送られる事以外にも、罪の償い方はあると思うのです。それは社会の一員となる事です。今迄、社会の秩序を乱してきた私が社会の発展に間接的にでも微々たる力を提供し、社会の向上の手助けをする事、つまり働くという事です。以前、社会の発展を乱し、今度国の法律を犯してしまつた私は、社会の発展に役立つ様に労働者として、今迄の罪の償いをしていきたいと思うのです。今なら社会の秩序を乱す行動をとらぬ自信が充分にあるからです。私には病気の父と病弱な母がおり二人とももう大分年も増してきており、病弱な母が父の代りに我家の生計を一人で立てるのは困難な事です。又、今迄惨々両親に迷惑や心配をかけてきました。本当に親不孝ばかりしていた私ですが、両親の下で社会人として働き、働く事の生きがいを感じ、一日も早く立ち直れる様努力して、一生懸命頑張つている姿を両親に見せたいのです。そうする事が今迄親不孝ばかりしていた私の、両親に対しての罪の償いであると考えるからです。決して両親に甘えたい等の浮ついた気持からではありません。最後に、少年院に送られたら自分の将来はどうなるのかと考えました。まず折角入学した定時制高校も昨年の全日制の様に退学しなければならないし、そうなりますと、高校を卒業し短大へ進みたいというかねてからの私の夢は、はかなく壊れるでしよう、……余り歳月が経つと復学はとても無理になるからです。又、私が少年院に送られれば、将来結婚の時に、少年院に送られたという事が大きな問題になると思います。結婚する相手が不良ではなくごく普通の人だつたら、私の素上を調べたりするのは当然の行為ですから……。極端な言い方をすれば、今ここでもう一度やり直す機会を与えて下されば、私の人生は暗いものにはならないと思います。
これを読まれて、私の深い反省と固い決意の程が、貴方様にわかつて頂ける事を祈つております。一生懸命書いたつもりですが、誤字及び乱筆乱文をお許し下さい。どうぞ今回を最後の機会として、何分寛大な処置をお願い致します。くれぐれもよろしくお願い致します。